




寄ったり引いたりしながらじっくり眺めていて、この建物は「縄文式土器みたいだな」と思えてきました。表面に施された模様や、壁面や建物上部から突き出すトゲトゲした装飾も縄文式土器を想起させますが、一回で70センチずつ自力でコンクリートを打って積み上げたという壁面に残るその痕跡から、紐状に伸ばした粘土を積み上げて成形する土器の作り方と似ているなと思ったからでもあります。
また、かつて岡本太郎は、「美しいものと、綺麗なものは、違う」とし、今日の芸術は「綺麗であってはならない、うまくあってはならない、心地よくあってはならない」と定義しました(「今日の芸術」)が、その岡本太郎がフランスから帰国して日本において最初に評価したものは縄文式土器でした。縄文式土器の中に、まさに綺麗にまとまったものではない、生命の祝祭そのもののような生々しい「美のありよう」を見たからでした。
私が「縄文式土器みたいだな」と思ったのも、蟻鱒鳶ルのなかに岡本太郎が縄文式土器の中に見たようなものを感じたからかもしれません。
20年という歳月をかけて細部を積み上げて作る過程では、当然下部と上部では色々と細部に込める気持ちやアイディアが変わってきているだろうし、外からでもそのニュアンスの違いがそこはかとなく感じられるような気がして、また、きっと内部は、作りながら考えた楽しい細部が色々とあるんだろうなと想像しながら、いつまでも観ていられるような気がしました。
蟻鱒鳶ルの斜め向かいには丹下健三設計の「クウェート大使館」があります。コンテキスト的には様々な面で対照的な両者ですが、どちらもケッタイな建物(良い意味で)であるには変わりありません(笑)。でも経済効率最優先の社会の中で、こうしたケッタイなものがあっけらかんと存在しているのを目にする機会はとても貴重だと思いました。(Y.O.)