潮江宏三先生特別講座「西洋美術のツボ」season 1 後半終了


六角舎アートスクールでは、潮江宏三先生(京都市立芸術大学名誉教授・前京都市美術館長)をお迎えし、「西洋美術のツボ」と題する年間6回の連続講座を開催しています。

西洋美術史の泰斗・潮江先生が、西洋美術を見て楽しむための糸口として、文字どおり「ツボ」とも言える特有のポイントに焦点を当てて、解きほぐしていく講座です。

 

昨年秋からの続き、season 1 の後半3回は「カラヴァッジョとカラヴァッジェスキ―通俗性の衝撃」というテーマでお話しいただきました。

 


第4回:2022年4月17日(日):「カラヴァッジョ登場!通俗性の衝撃」
マニエラ(手法、作風)の洗練こそが目標だった時代のローマ画壇に、卑俗にすぎるほどの現実感を湛えた何の衒いもない絵画表現をひっさげてカラヴァッジョが登場する。その波乱に満ちた人生を含めて、彼の芸術が与えた衝撃を浮彫にする。

 

今回からバロックに突入です。バロック絵画の創始者の一人と言っていいカラバッジョのスタイルがどのように生まれてきたのか、それがどのように展開していったのかを概観しました。
まず、ルネッサンス、マニエリスム、バロックの時代の状況と絵画スタイルの特徴についての比較や、カラバッジョが生まれた北イタリアにおけるヴェネツィアや北方絵画の影響などについての説明がありましたが、いわば「カラバッジョ前史」みたいな段階までで予定の時間の大半を費やしてしまい(笑)、メインのカラバッジョの絵画の紹介は全盛期のあたりまで。続きは次回ということになりました。
要するに、彗星のように現れそれまでの絵画のスタイルを革新してしまったかのように見えるカラバッジョの絵画にも、やはりそれが誕生するためのバックグラウンドがあったということを解き明かしていく興味深い回でした。

 

 

第5回:5月15日(日)「南方のカラヴァッジェスキ」
カラヴァッジョ登場の衝撃は甚だしく、その方向性を踏襲しようとする多くの芸術家を生み出した。そうした傾向の芸術家を「カラヴァッジェスキ」の名で呼ぶ。ここでは、イタリアとスペインのカラヴァッジェスキを中心に紹介する。

 

今回は前回やり残したカラバッジョの後半生の軌跡とイタリアにおける影響をテーマに講義していただきました。
カラバッジョの絵画の成立の背景として、対抗宗教改革の運動の中でカトリック教会がより大衆にアピールできる方法を求めていたことがあり、そうした時代の要請をカラバッジョ自身が敏感に感じ取って、あの写実的で明暗法を駆使したドラマティックなスタイルを確立していったのではないか、ということ。また、彼自身の移動に伴いローマ、ナポリ、シチリアへと影響が広がり、今ではあまり知られていない様々な画家たちがそのエッセンスを少しづつ取り入れていく様子が興味深いと感じました。



第6回:6月12日(日):「北方のカラヴァッジェスキ」
その衝撃の広がりはほどなくアルプス以北にも伝わり、イタリアに深く傾倒していたフランスは勿論、さらには固有の歴史を誇るオランダ絵画にも及ぶ。ここでは、そうしたアルプス以北のカラヴァッジェスキを紹介する。

 

今回は、前回の続きのナポリから始まり、スペイン、フランス、フランドル、オランダにおけるカラバッジョの影響の広がりを概観しました。リベラ、ベラスケス、スルバラン、ド・ラトゥール、フェルメールなどのよく知られた画家や、今回初めて名前を聞く画家たちのたくさんの画像を見ながらその特徴や影響関係、地域的な差異、そして歴史的な意義などを講義していただきました。
カラバッジョの絵画に影響を受けた画家たちは、カラバッジョの絵画の特徴である明暗法を駆使したドラマティックな空間表現とともに、カラバッジョが描いたテーマ(斬首などの残虐なシーン、奏楽シーン、イカサマ師、マグダラのマリア、バッカスなど)も踏襲していたということ、さらには絵画的な影響だけではなく、カラバッジョの人生の放つ「無頼性」に憧れていたのではないか、とのことでした。
また、イタリアを中心に大きな衝撃をもたらしたカラバッジョの絵画の影響力は1630年頃に収束していくことや、一旦はカラバッジョの影響を受けた画家たちがその要素を消化したり、影響を脱してオリジナルな質を生み出していく様子が興味深いと思いました。
最後の質疑応答まで休憩なしの3時間のエネルギッシュな講義。潮江先生、参加者の皆さん、お疲れ様でした〜。

 


私自身がカラバッジョを強く意識し始めたのは、日本では1989年に福武書店より刊行されたフランク・ステラの「ワーキング・スペースー作動する絵画空間」(辻成史・尾野正晴監訳)という著作によってです。この本は刊行当時、同時代で最も影響力のあった「抽象画家」のステラが、自身の作品と最もかけ離れているように見えるバロック時代の画家カラバッジョについて言及しているということで大変話題になり、私も邦訳刊行を心待ちにして発売されるとほぼ同時に読みました。(高額な本だったので最初は知人に貸してもらって読み、その後自分でも買いました。)

 

この本の中でステラはカラバッジョの絵画空間の特質を分析し、「カラバッジョのイリュージョニズムの成功ーリアルであると同時に絵画であろうとし、絵画が様々なレヴェルで<リアル>であり得るという主張を意味あるものにする絵画的に成功したイリュージョニズムーを理解しなければ、現代絵画の基礎をなすジェリコーやマネの作品に現れた19世紀美術の真髄を理解することは不可能であるように思われる」とし、カラバッジョの絵画空間がマネを経てモンドリアンとポロックに受け継がれていると論じています。そして「20世紀半ばまでに抽象への方向づけが決定的になったのは、空間とイリュージョニズムに関するカラバッジョの遺産のおかげなのである」と結んでいます。しかしモンドリアンやポロックに言及しているものの、何よりステラ自身が自身の絵画スタイルの転換(ミニマルペインティングから彩色されたレリーフペインティングへの)を説明するためにカラバッジョの絵画空間の分析をしているように思えました。カラバッジョから始まる近代絵画の空間の特質を正当に引き継いでいるのは自分であると。

 

このステラの論は、古典的な絵画の中に現代の絵画が引き継ぐべき問題があることを示しています。(余談ですが、このステラの論も動機となって、私の1990〜91年のイタリア滞在のテーマの一つはカラバッジョを観ることになりました。)私が潮江先生の講座に期待しているものも、美術に関する知識を増やすというばかりではなく、美術史の中から現代に通じる創造的で新しい視点や問題点が見えてこないだろうか、ということです。そのような問題意識を持ってさらに勉強を続けていきたいと思っています。(Y.O.)