20日ほど前のことになりますが、3学期の平常授業が終了したので、春期講習会が始まるまでの期間を利用して関東方面に幾つかの展覧会を観に行ってきました。
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東京に行く途中名古屋で新幹線を一旦降りて、名古屋市美術館で開催されていた「辰野登恵子 ON PAPERS」展を観に行きました。
辰野さんは1970年代にストライプなどのミニマルな要素を用いた版画作品から制作を開始され、80年代始め頃に油彩による大画面の抽象絵画を発表し一躍注目された画家です。私も丁度大学に入学し作品を制作し始めた頃でもあり、辰野さんの作品は常に注目していました。2014年に惜しくも亡くなられましたが、その間日本の現代絵画のシーンでひときわ目立つ存在であり続けたと思います。
亡くなる前の2012年には国立新美術館でこれまでの画業を回顧する大規模な2人展(「与えられた形象」展)があり、亡くなってからも神戸のBB美術館で比較的小規模ながらも回顧展がありました。(両展とも私も観に行きました。)今回の展覧会はおそらくそれ以来の大規模な回顧展ですが、タイトルに「ON
PAPERS」とあるように、版画やドローイングなど紙に描かれた200点ほどの作品を中心としたものです。とはいえ油彩画の大作も30点ほど展示されていたので、紙に描かれた作品と油彩との関連性を興味深く見て取ることができました。
70年代のミニマルなスタイルの版画作品と80年代以降の大画面の油彩画では、一見、そのスタイルや使われている色彩の扱いはずいぶん違っているように見えるのですが、このように画家の作品の変遷を大きな流れで見る機会では、70年代の版画作品で用いていたストライプや長方形のパターンが、後年水彩や油彩に変奏されてあらわれるなど、その背景ではやはり通底するものがあったことがわかります。
また、近くで見ている分には粗い筆致で描かれている初期の水彩や、やや鈍い色調の組み合わせに見える初期の油彩も、かなり作品から距離をとって見てみると、その粗い筆致や色調が輝かしく響きあって見えてきます。これは広い空間に展示されていないとなかなかわからないことで、今回の展覧会を観たことによる新しい発見でした。
(ただ、本展のカタログは、版画作品とドローイング作品のカタログレゾネを含む大部の充実したものではありますが、やはり図版は会場で実作を見た時に感じる色彩の輝きは再現されておらず、残念でした。)
常設展示では、フランク・ステラ、アンゼルム・キーファー、李禹煥などの大作が並んでいて、見応えがありました。
名古屋から東京に移動し、そのまま馬喰町のギャラリーαMで開催していた中村一美さんの個展を観に行きました。このギャラリーは武蔵野美術大学が運営するギャラリーで、学外からもキュレーターを招聘して興味深い企画展を開催しています。
「絵と、」というタイトルの今回の企画は、絵画が社会とどのように関わっているのか、社会的な事象が絵画の中にどの様な形で現れて来るのかを、何名かの画家による連続個展によって示そうというもののようです。中村さんは常々「ソーシャルセマンティックとしての絵画」(「社会的意味論的な絵画」・・・モチーフとして社会的な事象を描くのではなく、一見抽象的な色や形の組み立て自体が社会的な事象を指し示す絵画。※注:展覧会リーフレットの解説より引用)を標榜されており、今回のテーマには大変マッチした人選と言えるでしょう。
中村一美さんも80年代の始めから抽象絵画を独自に追求してこられた画家で、私も1987年に横浜でのグループ展でご一緒して以来、30年以上にわたって常に作品とその展開に注目しています。2014年には国立新美術館で大規模な個展の機会を持たれました。私も観に行きましたが、その多彩なテーマと作品数の多さ、何より作品の持つパワーに溢れた超弩級の展覧会でした。
実は今回のこの個展のことは、昨年11月に大阪の国立国際美術館で中村さんにお目にかかった時にご本人から伺っていて、「破庵」という90年代に制作していた阪神大震災などの厄災をテーマにしたシリーズを下敷きにしたものであること、3.11がテーマであること、これまでの作品とは少し作風が変化していることなどをお聞きし、実見するのを楽しみにしていたものでした。
ギャラリーに入ると、力強い筆致の、様々な色彩による線の集積によって構成された大型の絵画が10点ほど展示されています。アクリル絵具を大量に使って大胆に盛り上げたタッチの上にさらに別の色彩が重なる、といった具合に、荒々しい線と強い色彩(メタリックカラーを含む)が交錯して強い対比を生み、不協和で複雑な空間を作っています。それは、3.11がテーマである以上、強大な力による亀裂や破壊された家屋(「破庵」というタイトルが示唆するように)を想起させます。また、色彩の強い対比や不協和な響きは、不安感や禍々しさ、混乱なども暗示しているようにも感じます。
一点一点の作品を観ていきながら、その物質感、色彩の重なり、強い筆致が生み出すパワーを感じると同時に、それぞれの作品間の画面構成や色彩の扱いの(共通性、あるいは違いの生み出す)関係性をもみていきます。展示されている作品は、ある基本的な構図がありそれを変奏するように描かれているように見えるからです。
中村さんは80年代に現在にも見られるグリッド(格子状の形態)を使った抽象絵画を発表し始めた時、「示差性の絵画」というコンセプトを打ち出していました。それは、一点一点で意味を完結させる絵画ではなく、作品同士の画面構成や色彩の扱いなどの共通性、あるいは違いに注目することによって、それぞれの作品の間に現れてくる「関係性」がその意味となるような絵画の在り方だと理解しています。今回の展覧会の作品群も、そのような絵画制作における方法論は変わらず一貫しているように感じました。
ひとつ興味深い発見だと思ったこととしては、近くで画面を見ているとあれほど物質的で不協和な色彩の響きなのに、作品との距離を一杯にとって引いた状態で見てみると、そうした物質感や細かい色彩の不協和などのディテールが消え、何やらトロピカルで楽しげな色彩の響きが見えてくることです。遠目から見ると圧迫感や細部の対立が(エネルギッシュではあるが)楽しげなものに転化してしまうことが不思議でした。そんな部分と全体の見え方のギャップを楽しんだり考えたりしながらギャラリー内を行ったり来たりしながら過ごしました。
ただ、後で、展覧会場でもらったリーフレットの中に書かれていた中村さんの今回の作品に関する長文のコメントを読むと、やはり3.11をテーマにするということに関して、「たくさんの人々が亡くなり、たくさんの人々を今も苦しめている現実がある中で、それを描くことが許されることなのだろうか」と制作しながら煩悶していたようです。文章を読む限りでは、中村さんの葛藤は倫理的なものに由来しているように思います。
例えば、かつてゴヤは「マドリッド、1808年5月3日」を、ピカソは「ゲルニカ」を、丸木位里・俊夫妻は「原爆の図」を描きました。未曾有の厄災を目の当たりにして彼らはある種の使命感からこれらの絵を描いたものと想像しますが、同時に彼らも制作しながら「それを描くことが許されるのか」と自らに問うていたのではないだろうか、と私は思います。さらには、「果たしてそれが表象可能なのか?」ということも。
「それを描くことが許されるのか」という問いは倫理的なものにとどまるものではありませんが、いずれにせよ私自身としては、そうした終わりのない自問自答の中で、僅かな可能性を手掛かりに「表現」を探求することこそが、方法はどのようであれ、現代に生きる表現者の存在意義なのではないかと思っています。(Y.O.)