大阪の国立国際美術館で開催中の「ニュー・ウェイヴ 現代美術の80年代」展で、小林正人の「絵画=空」(1985-86 東京国立近代美術館蔵)と題された作品を観ることができたのは収穫だった。それは、パッと見たところ、300号くらいのキャンヴァスに青い色が塗られただけのように見える絵なのだが、表面を注意深くみつめていると、描くための(おそらく短くはない)時間の中で色々と面白いことをやっているのが見えてくる。
タイトルを文字通り受け止めるならば、それは「空」を描いたものなのだろう。最下部の線描、薄い絵の具の層の丹念な塗り重ね、拭き取り、微妙なニュアンスの違う青のブレンド、油分の違いによる表面のニュアンスの違い、白の混入、絵の具の跳ね、引っ掻き・・・などなど、それぞれ画面に施すアクションによって生まれる変化を感じ取り、さらに次の変化をもたらすアクションを施す。こうしたアクションの積み重ねとそれによる僅かな痕跡によって「空」は構造化され、それによって空間に深さが生じている。空という奥行きを感じにくい空間を、線遠近法を使うことなく(=もののかたちを描くことなく)表現することは至難だが、それが上記のように絵画を描く上で用いる物質的な手段によって表されている。それは図像による解説された奥行きではなく、描くという行為の痕跡と絵の具という物質の集積によって生成された深さであり、それゆえに「絵画=空」なのだろう。
そして、こうした青い絵の具を重ねたり拭き取ったりするある意味キリのない作業が、ここで終わるしかない、というタイミングで終えられているように思えるのだ。おそらくこれ以上絵の具を乗せるとこの絵の持つ「空の絵」としての軽みは無くなってしまいそうな気がするし、あるいは、もしかしたらうるさくなり過ぎたり、単純になり過ぎてしまうかもしれない。そういう意味でこの作品は、描き手の感覚の繊細さをギリギリまで要求し、同時に観る者の感覚の繊細さをギリギリまで要求する絵画なのだ。もちろん、もとより絵画とはそのようなものであるはずだが。
優れた絵画と時代性は必ずしも直接的には関係がないものなのかもしれないが、それにしてもニューペインティングのように荒あらしい表現主義がもてはやされていた時代性の中で、独自に自分の絵を見つめ、具象でも抽象でもないような極めて繊細で質の高い画面を作り上げていたことに驚かされる。この絵から感じる、しんとした雰囲気は、あの時代の中で静謐な空間を作り、その中で自らを解き放つ孤独な行為が生み出したものだろうと思う。(Y.O.)
「ニュー・ウェイヴ 現代美術の80年代」
会期: 2018年11月3日(土・祝)―2019年1月20日(日)
会場: 国立国際美術館
開館時間: 10:00 ─ 17:00 ※金曜・土曜は20:00まで(入場は閉館の30分前まで)
休館日: 月曜日(ただし、12月24日及び1月14日は開館し、翌日休館)、年末年始(12月28日(金)―1月4日(金))
観覧料: 一般900円 大学生500円
※高校生以下・18歳未満無料(要証明)
http://www.nmao.go.jp/exhibition/2018/1980.html