9月17日、日帰りで倉敷と岡山に展覧会を見に行ってきました。
主な目的は岡山県立美術館で開催中の「生きている山水ー廬山をのぞむ古今のまなざし」展を見ることでしたが、せっかく岡山まで行くのだからと倉敷まで足を伸ばし、大原美術館を見てから岡山に行くことにしました。
大原美術館は、倉敷駅近くの美観地区の中にあります。美観地区は大原美術館やアイビースクエアを含む一角で、堀割りに白壁の商家が立ち並ぶ江戸時代からの街並みがよく保存されています。当日は祝日のせいなのかたくさんの人が訪れていて、通りも店も大変賑わっていました。
大原美術館は昭和5年創立の、国内で最も古い私立美術館とのことです。実業家大原孫三郎が画家児島虎次郎に依頼し、滞欧中に収集したエルグレコ、モネ、ゴーギャン、マティスなどの作品がコレクションの中核になっています。
本館正面に立つロダンの「カレーの市民」が入館者を迎えてくれます。
私は大原美術館に来るのは25年以上ぶりですが、建物、展示室内部の様子、展示されている作品など、四半世紀前の記憶に照らし合わせてあまり大きくは変わっていないことに軽い驚きを感じました。物事の移り変わりの激しい昨今においてこの変わらなさは貴重だな、と思いました。
また、モネ、ゴーギャン、セガンティーニ、エルグレコ、ポロック、ロスコなど、大作ではないものの質の高い重要な作品があることに改めて驚かされました。
日本庭園を挟んで向こう側には分館があります。ここには日本の近・現代の作品が展示されています。(分館の正面にはヘンリー・ムアが。)
1階の展示室には岸田劉生、小出楢重、梅原龍三郎、安井曾太郎、佐伯祐三、松本竣介、萬鉄五郎などがありますが、順に見ていくと熊谷守一の「陽の死んだ日」が不意に現れ、「ここにあるのか」と、びっくりしました。この作品を生で見たのは多分初めてですが、凄い絵でした。
その後、古民家を改造した工芸・東洋館を回りましたが、東洋館にあった北魏の石仏を集めた部屋が素晴らしかったです。
大原美術館と倉敷・美観地区を巡った後、岡山県立美術館のある岡山市に向かいました。
岡山県立美術館では特別展の「生きている山水ー廬山をのぞむ古今のまなざし」展を開催しています。この展覧会は、古来より中国の仙境と讃えられてきた「廬山」をめぐる古今の山水表現を集めた展覧会です。
この展覧会のユニークなところは、中国・五代から清朝までの山水表現を概観する一方、それと対峙するような形で現代の山水表現として画家山部泰司の大規模な個展が併置されているところです。さらに画期的なのは、現代の山水画としての山部氏のコーナーが古美術の展示の最後にくっついているような、近年よく見られるような展覧会形式ではなく、「現代」ー「古美術」ー「現代」ー「古美術」ー「現代」というように、山部氏の展示室と中国絵画の展示室が交互に、互いに照応するかのような関係に配置されているところです。また、そもそも現代の山水表現の代表として(日本画や南画の画家ではなく)山部泰司という、アクリル絵の具を使って大画面のキャンヴァスに描く「現代美術」の画家が取り上げられていることも特筆すべき点でしょう。実際、美術館の大空間に縦2メートル以上もある近年の代表作がずらりと並んでかけられている様は壮観で、山部氏の単独の個展として見ても大変充実した展覧会であると思いました。
今回、山部氏の作品以外に、是非とも見たい作品がこの展覧会に展示されていました。北宋の画家・燕文貴の「江山楼観図巻」です。(※本作品の展示は9/17まで。)
燕文貴の作品は、昨年末に台湾の故宮博物院での特別展示「國寶的形成」を見に行った折、「奇峰萬木」と題された小さな絵が1点展示されていて、その細密表現の凄まじさに驚嘆した経験を持っています。それは線描主体の水墨画でありながら、岩山の上に生い茂った木々の一本一本、枝の重なりの前後関係、葉っぱの一枚一枚が描きわけられ、木々の作る空間の状況がリアルに感じられます。そして、そのような超絶的なリアリズムが扇一枚の小さな空間の中に凝縮されているのです。この絵をはじめとする宋代の山水表現は、後代になるとしばしば見られるようなマニエリズムや、形骸化したテクニックによって空間がスカスカになってしまったものでもなく、徹底したリアリズムに基づいていること、そしてその技法はリアリズムの追求の過程で創出されているものだということをはっきりと悟りました。その上、燕文貴の絵の凄いのは、そのような単眼鏡で見ないとはっきりとは見えないくらいの細密表現でありながら、画面全体としては深々とした絵画空間の豊かさと高い品格を感じさせるところです。同様の印象は何年か前に「リヒテンシュタイン美術館展」(京都市美術館)で見たヤン・ブリューゲルの小品「若きトビアスのいる風景」(1598年)でも感じたことがありますが、燕文貴はそれより600年ぐらい先立ちます。
燕文貴や彼に先立つ荊浩、董源、李成、同時代の范寛、彼に続く郭煕、李唐など山水画の名品を生み出した画家たち、さらには徽宗、李迪、夏珪、玉澗、そして大好きな牧谿・・・などなど、五代から宋代は中国絵画の黄金時代です。
この「江山楼観図巻」は絵巻物なので横には長いですが、縦は32センチです。単眼鏡でじっと注意深く見つめていると、何やらところどころ小さく人の姿が描かれています。(上の2枚の写真は本展図録の表紙に掲載されているこの絵の図版の拡大です。)
全体を見ると悠々とした大きな山と海の俯瞰図ですが、細部をよく見ると強い風が吹いて木々が大きくしなり、天候の急変を逃れて宿坊に駆け込む旅人たちや、次の目的地へと急ぐ貴人の一行(?)の様子などが活き活きと描き込まれています。具体的にどれくらいのサイズなのかはっきりは分からないのですが、多分3〜4ミリくらいでしょうか。そんな米粒ほどの人物描写なのに、記号のような人物ではなく、一人一人の様子が目に浮かぶようなのです。単眼鏡でどの部分を注視しても、こんな調子で画面の隅々にまで発見があります。さながらミクロコスモスのように森羅万象が凝縮された、いつまでも見続けていたい絵でした。
少し前に、「絵画の歴史ー洞窟壁画からiPadまで」(ディヴィッド・ホックニー+マーティン・ゲイフォード共著)という本を読んでいたら、その中にこの燕文貴の「江山楼観図巻」が出てきました。巻末の画像キャプションによるとこの絵は台湾の故宮博物院蔵ということになっていたので、「一度実物を見てみたいものだが、故宮の蔵品ならばなかなか難しいだろうな」と思っていました。(実はキャプションは間違いで、この絵は大阪市立美術館の所蔵でした。)
今回の展覧会のおかげで、意外にも早くこの絵を見ることができたことは幸運でした。(Y.O.)