「土偶・コスモス」展/MIHO MUSEUM

 

先週、MIHO MUSEUMで開催中の「土偶・コスモス」展に行ってきました。
縄文式土器や土偶に目のない僕としては、「国宝3点を含む縄文土偶役220点が、日本全国からやって来ます!」というキャッチコピーに心躍り、いつも会期の終わり頃になって焦ってバタバタと会場に向かうのが常の僕が、異例なくらいに早い時期に展覧会を観に行きました。

日曜日でしたが、観客はそれほど多くはなく、ゆっくりと、様々な形をした土偶たちの世界を堪能しました。
ひとくちに土偶といっても、作られた時期や場所によって形や大きさなど様々なバリエーションがあります。指の先ほどの小さななシンプルなものから、堂々としていて装飾が過剰な遮光器土偶まで、観れば観るほど面白い。
そうした形の面白さという造形的な興味に加え、甕や一部の土偶に施されている文様に古代中国の青銅器や北米のイヌイット、中米のアステカ文明/インカ文明の石壁の模様などの面影を観、ベーリンジアがつないだアジア大陸〜(日本列島)〜アメリカ大陸という古代文明の伝搬を想像するなど、興味は尽きません。
また、耳飾り(下の写真参照)のデザインなどどう見てもケルトの文様にしか見えないようなものもあります。そう思えば火焔土器のめくるめく装飾や、土器や土偶に施された渦巻き状の線刻などケルトの遺物を彷彿とさせます。こうなると汎ユーラシア的な文明の伝搬を考えねばならなくなりますが、むしろユングが言うように、人間の精神の古層にはあのようななデザインをもたらす何かが人類共通のものとしてあると考えた方が良いのかもしれません。

 

 

それにしても、どうして土偶にはあのような、時に過剰とも思われるような装飾や文様が施されているのでしょうか。また、「縄文」というあの縄目の文様にはどのような意味があるのでしょうか。
自分なりに土偶を見ながら考えていたこととしては、まず土偶は古代の神像あるいは祖霊の像であり、文様はその霊力の表現ではなかったか、ということ。おそらく文様が施された位置や文様の形にも意味があったとおもわれます。またそうした神の霊力にあやかるため、おそらく縄文人も多かれ少なかれ身体に土偶さながらの入れ墨を施していたのではないか、と想像します。
また、単純に「縄文」といっても、その施し方にはいろいろなバリエーションがあるようで(必ずしもひもを使わない装飾法もあったようです)、文様そのものの意味や使い分けの詳細などはわからないものの、見ていると非常に繊細な美意識を感じます。技術的な側面から考えれば、粘土を整形した後、その表面が乾いてかちかちになってしまわないうちに装飾をしてしまわなくてはなりませんが、土器や土偶などの曲面に装飾を手早く合理的に施す方法として、あのような縄を転がす方法が広く採用されたのではないだろうか?などと推測しています。

この展覧会「土偶・コスモス」展の図録に収録されている論文の中では土偶の分類やその特徴などわかりやすくまとめられており興味深く読むことができます。そして、そもそも土偶とは何か、という問いにも図録中の小林達雄氏の概論が理解を助けてくれます。ただこの件に関しては、「人間の美術」第1巻「縄文の神秘」という本の中で哲学者の梅原猛氏が非常にユニークな推論をたてていて読み応えがあります。来月号の芸術新潮(10月25日発売)は本展の開催にあわせた縄文の特集のようで、梅原先生も登場されるようですから多分同様の考察が聞けるのではないでしょうか。

すっかり満足して会場を出て、図録を買おうと思ってぱらぱらとめくっていると、そういえば展覧会の目玉として大きくフィーチャーされている「合掌土偶」(国宝)を観た記憶がありません。おかしい、これを見逃したら大変だとばかりにもう一度会場をぐるっと一回りしてみましたが、やはりありません。展覧会のチラシを再度見て確認してみると、その「合掌土偶」をはじめ、有名な「縄文のビーナス」など他の国宝2点と、重文になっている遮光器土偶の中でも最も見事なやつ(東京国立博物館蔵)は、展覧会会期の最後の方で展示されるとあります。上のポスターで描かれている土偶の全て、つまり展覧会のハイライト的な展示物が全くない状態の展覧会を見てしまったのか〜、それでお客さん少なかったのかな〜、と、そのことで多少残念な気持ちにはなりましたが、でも上の目玉作品がなくても十分楽しめる展覧会でしたよ。でももう一回行こうかなぁ・・・・。(Y.O.)

 

(この文章は、松尾美術研究室のブログ "マツオ・アートログ”への2012年9月30日付けの投稿を転載したものです。)