ヴィム・ヴェンダース監督が、ピナ・バウシュとヴッパタール舞踊団が作り上げた舞台のいくつかを3Dで撮影した映画「pina/ピナ・バウシュ 踊り続けるいのち」を観に行ってきました。
今日が京都駅前のシネコン「T-JOY」での上映の最終日だったので慌てて行ってきました。この映画の事は昨年から知っていて、既に大分前にサントラ盤まで買って勝手に盛り上がっていたのですが、いざロードショーが封切りされると忙しい時期に重なってしまって中々映画館まで出向こうという気にならず、とうとう最終日になってしまったという訳でした。
この映画はシンプルに説明するなら、ピナ・バウシュとヴッパタール舞踊団のレパートリーの中から「春の祭典」、「カフェ・ミュラー」、「コンタクトホーフ」、「フルムーン」という4つの作品を選んで3Dで撮影し、編集したものです。その合間にダンサーたちがピナの思い出を語るシーンがあったり、ヴッパタール市内でダンサーたちがソロやデュオで踊る美しいシーンなどが挟み込まれています。
まずはじめの「春の祭典」の群舞のシーンで、もうやられてしまいました。「これはヤバい!」という感じです。映像が高解像度でやたらクリアな上に3Dの効果もあって、ダンサーたちの肉体の物質的な迫力や息づかい、細かい表情まで生き生きと見えてきます。これまで僕が3回ほど経験した実際の彼ら/彼女らの舞台ももちろん生だから迫力があったのですが、映像ではダンサーにかなり寄ったり、ローアングルから撮影したり、と生の舞台とはまた違った(増幅された)迫力を感じます。撮影にあたってあらゆる角度から撮影する作品のことを検討したに違いないヴェンダース監督の緻密さやセンスがそうした効果を生み出しているものとも思いました。
僕は3Dの映画というは初めてだったのですが、中々不思議なものですね。「アバターならともかく、こういうドキュメンタリー映画で3Dというのは効果あるのかな?」と観るまでは懐疑的だったのですが、「舞台」という現実と虚構の中間的な空間を表現する上で、非常に高い効果があるなと感じました。
ダンサーの身体が立体的に感じられるというばかりではなく、うまく言えませんが、例えば前景で踊るダンサーが空間にきちんと定位されておらず、なにかその存在が宙づりになったような不思議な感覚を映画中に何度も感じました。そうした3D空間の持つ幻想性と、「ピナの不在」がもたらす寂寥感が結びつき、幽玄とも言えるような感覚が映画を支配しているように僕には感じられました。
芸術を志す、あるいは愛好する全ての人々に全面的にお勧めしたい作品です。3/26日現在、近畿エリアでは大阪で上映中のようです。まだ観ていない方は劇場へ急ぎましょう。(Y.O.)
(この文章は、松尾美術研究室のブログ "マツオ・アートログ”への2012年3月23日付けの投稿を転載したものです。).