ピアノ夜話 その1/ヴァレリー・アファナシエフのベートーヴェン「最後の3つのソナタ」

 

ベートーヴェンが最後に書いた3つのピアノソナタ、第30番・第31番・第32番(それから5つの後期弦楽四重奏曲も)は、それまでのベートーヴェンの音楽とは明らかに違う感じがします。虚飾のようなものがなく、晩年のベートーヴェンの素のままの心境の断片が音として闇の中に煌めいています。そしてそのような断片が最後にはあたかもゆっくりと螺旋を描きながら昇華されて彼岸へと消え去っていくようです。純度の高いすごく透明な音楽。僕はこの最後の3つのピアノソナタを聴くたびに、こんな音楽が聴けて音楽を今まで聴いてきて良かったなと思います。

 


僕が初めて第31番のピアノソナタを聴いたのは、'92年頃、グレン・グールドの演奏を収めたレーザーディスクででした。極めて理知的なピアニストだと思っていたグールドが陶酔しながら弾いている姿が印象的でしたが、それ以来僕にとってこの演奏がこの曲の基準になっていました。その後そんなにたくさんではありませんが、それでも10種類くらいはいろいろな演奏者による演奏を聴いたでしょうか。初めて、グールドのLD版の演奏より良いと思える演奏に出会ったのが、2004年頃に発売されたヴァレリー・アファナシエフの日本でのライブを収めたCD「BEETHOVEN The Last 3 Sonatas」(若林工房)です。と言うか、この演奏はこれらの曲の本質そのもの、そして演奏芸術の本質を開示しているようにも思え、今のところ僕にとってはベートーヴェンの最後の3つのピアノソナタといえばこの演奏以外考えられないほどになっています。

最初から最後まで非常にゆっくりのテンポで弾かれますが、音が生まれ、音が消える、その音の明滅がまるで触れられるかのように感じられます。そしてその音の生成と消滅に立ち会い、それを見守り続けます。
この演奏では特に最後の第32番のピアノソナタが素晴らしいと思います。あえて言葉にすると「幽玄」という言葉がふさわしい。この世のものでありながらどこかこの世とは違う世界からの響きが、また彼岸へと消え去っていきます。

そして全ての演奏が終わり、静寂の中にとりのこされ、その中で僕にはいつも「果たして、今聴いたものは何だったのだろう?」という気持ちが浮かんできます。あれは果たして音楽だったのか?なにかもっと大きなもの。もしかしてあれは「圧縮された人生」というようなものではなかったか。ベートーヴェンのものでありながら同時に私たち自身のものであるかのような・・・。
それを確かめ、もう一度味わうために、僕は何度でもアファナシエフのこの演奏を聴き続けるでしょう。(Y.O.)

 

(この文章は、松尾美術研究室のブログ "マツオ・アートログ”への2011年4月24日付けの投稿を転載したものです。)