長谷川等伯展/京都国立博物館

 何年も前から楽しみにしていた長谷川等伯展を観に行く日が来ました。

こういう混雑が必至な展覧会は、会期中出来るだけ早く(出来れば初日)、平日に、そして開館すぐに入場できるように行くのがベストです。(金曜の夜は7時半まで開館しているので、金曜の夕方に行くのが良いという人もいる。)会期はGWにかかっていますが、そんな時期に行くなど恐ろしくて考えたくもありません。
今までの経験から、多分行くのは今日がベストなのではないかと見極め、気合いを入れてこの日を迎えました。

博物館に着いたのが開館の9時半少し前。もうすでに開館を待つ群衆が入り口付近に渦巻いているのをみて、「うわーっ」。
思わずそのまま帰ろうかと思いました。
僕は以前雪舟展を観に行って、あまりの長蛇の列におののき、そのまま帰ってしまったことがあります。(その後も結局観に行かなかった。)
でも今回は前売りも買っていたし、今日を逃すと後日さらに混みそうな気もするので、20分待ちという長蛇の列の最後尾にシブシブ並びました。
でも結局入場まで30分以上かかったのではないかな。
会場内もやはりたくさんの人がいて、一つずつの絵に並んでじっくり鑑賞しようとしたら時間がいくらあっても足りないので、じっくり観たり、あまり時間をかけずに遠目から観るのですませたりとメリハリを付けて会場を進んで行きます。

それにしても等伯は非常に多彩なスタイルをうまくこなしているのには感心します。また、そういう等伯の絵師としての多面性を演出するような展示になってもいます。
本職であった仏画にはじまり、似絵、大和絵風、楓図を代表とする金碧障壁画、室町時代の水墨画のスタイル、お寺の天井画や巨大な涅槃図まで、様々なバリエーションがあってそれがどれも高い水準で描かれてあることを観て、あらためて力のある絵師だったんだなあ、と再認識させられました。有名なお猿の絵にしても「牧谿の真似っこじゃないか」と思っていたのですが、実際目にしてみると非常に暖かい雰囲気があって、これはこれで別物としてなかなかよいものでした。

個人的には以前から観たいと思っていた、大徳寺の襖に住職が留守の隙に等伯が勝手にあがりこんで描いたという山水画(←これです)がようやく観れて嬉しかったです。

しかしやはり、何と言っても「松林図」でしょう。
最後に登場するこの絵だけは、全く桁外れの画格の違いに思わず息を呑みます。
近くで観ると、良く言えば自由奔放、悪く言えばかなり無造作にも見えるような線が走り、絡み合う、即物的なディテールなのですが(ただ、空間のトーンをコントロールする薄い墨は丹念に施されていることがわかります)、離れて観ると、そうした線や墨のトーンが絶妙にブレンドされて収まるべき状態にしっくりと収まり、幽玄ともいうべき空間を創出しています。
さらに特筆すべきこととして、この絵には筆法や木の形態感などの点で形式的な感じがなく、むしろこの時期の日本絵画には例外的に写実的といってもいいような感じさえします。

観れば観るほど、これが絵だ、これこそが絵なのだと唸るしかありません。

この絵を見るのは今回で多分3回目だと思いますが、今回一番強い印象を与えられたように思いました。


それにしても等伯はなぜこのような絵が描けたのでしょう。確かに牧谿を研究して行く過程で生まれた松林図の前段階とも見えるような絵もあるのですが、そういう絵と松林図のあいだにはものすごい跳躍があるように見えます。

トーン変化を駆使した大気(霧)=空間の表現、自由奔放な筆さばき、形式ではなく写実に基づいたモチーフなど、これらは明らかに牧谿から来ていると思います。(「写実性」に関しては、似絵も手がけていた等伯にとっては自然なことだったのかもしれませんが。)しかし牧谿を完全に自己薬籠中のものとし、その技術と内側から湧き出るような表現動機(松は等伯の故郷七尾の松ではないかと言われている)が結びついた時、それまでに存在したことの無かった奇跡的な絵が生まれたのでしょう。

しかしこの画格の高さはいったいどうしたことなのでしょう。何かすごく透明で底光りのするものが画面に満ちていて、いつまで観ていても見飽きるということがありません。僕の後ろでおじさんが「悟りの境地やな」と呟いていましたが、確かに何らかの精神的な飛躍があったとしか考えられません。
こういう感じは図版からは充分にはわからないものです。それはまたフォーマリズム的観点から分析しようとしても理解できない「何か」で、福岡伸一ではありませんが「世界は分けてもわからない」と思い知らされます。実作を観る醍醐味はまさにこういったときに実感させられますね。

それにしてもこのあいだ研究室で観た横尾さんのビデオでの「Y字路」もそうですが、思い通りの絵が描けなくて悩むことがあったとしても、それでもしぶとく描き続けていれば天はいつか「ご褒美」をくれるんだなぁ・・・・、という感慨とともに2時間弱を過ごした会場を出てみると、入場待ちの長蛇の列はさらに延びてもの凄いことになっていました。(Y.O.)

 

(この文章は、松尾美術研究室のブログ "マツオ・アートログ”への2010年4月13日付けの投稿を転載したものです。)