グスタボ・ドゥダメルとシモン・ボリバル・ユース・オーケストラ・オブ・ベネズエラ

 

私は自分の興味の赴くところジャンルに関係なくいろいろな音楽を聴いているのですが、最近、我が人生2回目のクラシック音楽ブーム真っただ中です。

近頃はドイツグラモフォンやハルモニアムンディ、デッカといったヨーロッパの老舗クラシックレーベルが、自分のとこの膨大な録音の中からチョイスした名盤の数々を30枚組とか50枚組のボックスセットにまとめて超激安価格で売っているのですが、去年はそんなボックスセットをいくつか買って聴いていました。

中でもドイツグラモフォンの創立111周年記念の55枚セットのボックスはめちゃお薦め。名盤てんこもりで激安。これはほんとに買って得しました。
この中には以前から好きで良く聴いていたポリーニやアルゲリッチのショパン、ブーレーズのストラビンスキー、ガーディナーのモンテヴェルディ「聖母マリアの夕べの祈り」、ミケランジェリのドビュッシー、ベームのモーツァルト「レクイエム」、リヒターのバッハ「ミサ曲ロ短調」なども含まれていてその分はダブりになってしまったものの、前から聴いてみたかったエマーソン弦楽四重奏団のバッハ「フーガの技法」やギレリスのベートーヴェン、ポゴレリッチのスカルラッティ、ヴァルヒャのバッハのオルガン選集、ほかにもラヴェルやベルリオーズ、ラフマニノフなど、欲しかったディスクがざくざく出てきて嬉しい。

そんなお宝ボックスのなかに、名前も聴いたことの無いまだ若い演奏家のディスクが入っていました。グスタボ・ドゥダメル指揮、シモン・ボリバル・ユース・オーケストラ・オブ・ベネズエラの演奏するマーラーの交響曲第5番。これは嬉しい発見でした。
重々しく晦渋で難解な音楽というイメージのマーラーですが、これはほんとに若々しくスリリングな演奏、シャープで爆発的で凄くかっこいい音なのです。とにかく音楽をするのが楽しくてしょうがないというような自発性に満ちた音で新しいマーラーの世界を開いていて、とても感銘を受けました。

こんな素晴らしい音楽を演奏しているのはどんな人たちなのだろうと思って調べてみると、指揮者もオケもベネズエラ出身で、ベネズエラが国を挙げて行っている「エル・システマ」とよばれる音楽教育の中から出てきた音楽家たちであるとのこと。
彼らについてさらに深く知りたくなった私は、こうしたベネズエラにおける音楽教育の実践についてのルポ「エル・システマー音楽で貧困を救う南米ベネズエラの社会政策」(山田真一著/教育評論社刊)という本を読んでみることにしました。

エル・システマという音楽教育が生まれてきた歴史的経緯やその背景についてはその本に詳しく書かれていますが、長くなるのでここでは割愛するとして、要点としては、

1)貧富の差が激しいベネズエラでは貧しい子どもたちが犯罪に走らないように、「エル・システマ」という課外教育の実践が30年ほど前から行われている。

2)貧しい子どもたちに無償で音楽を教え、無償で楽器を貸し、先輩が後輩を教え、オーケストラで合奏しといったシステムによって、音楽を演奏する喜びを知り、他者との協調性を養い、それが犯罪の抑止にもつながっていき、さらにはそのことをきっかけに経済的にも安定して行く・・・、といった効果を上げている。

3)エル・システマとして国内で活動するオーケストラやアンサンブルは400あり、幼児から30歳くらいまで約20万人のメンバーが様々なかたちで参加している。さらには刑務所や少年保護施設のなかにもオーケストラがあって、そこではじめて音楽を演奏する喜びに触れた人たちの更生に貢献している。

4)ベネズエラ全土に多数のこのような無償の音楽教室があり、さらにはそこから選抜された若者たちが青少年オーケストラへ(シモン・ボリバル・ユース・オーケストラはこの一つ)、さらには国立の交響楽団へとステップアップして行く。中には欧米の有名オーケストラへ入団を認められるものもいる、ということなども書かれていました。

アメリカでは、美術や写真の分野でNPOなどが中心になって同様の試みがなされているのを、以前「キッズ・サバイバルー生き残る子どもたちのアート・プロジェクト」(ニコラス・ベーリー編著/フィルムアート社刊)という本で読んだことがありますし、ポピュラー音楽の分野でもカルリーニョス・ブラウンというブラジルのミュージシャンが、自分が生まれ育った貧しい人たちが暮らすエリアの若者たちを音楽家として自立して行けるように訓練し、「チンバラーダ」というバーカッション・グループを作って活動している話を聞いたことがあります。しかし、ベネズエラのように国のレベルでここまで大々的な取り組みをしている例は今回始めて知りました。
「芸術は社会にとってなくてはならないものだ」とはよく言われますが、そのことをリアルに見せてくれる試みだと思います。

国内における社会制度としては良いものであったとしても、その制度から生まれたオケの音が世界に通用するかどうかはまた別の問題ですが、グスタボ・ドゥダメルとシモン・ボリバル・ユース・オーケストラ・オブ・ベネズエラはその二者を兼ね備えた例として素晴らしいものだと思います。それはエル・システマが、上記のような教育的な効果とともに、世界に通用するオーケストラをつくるというビジョンを持って活動を始めた一つの成果でしょう。
シモン・ボリバル・ユース・オーケストラは世界中をツアーして各地で絶賛されているようだし、またドゥダメルのほうはすでに欧米の主要なオーケストラに客演したり音楽祭に招待されたりと高い評価を受け、20代後半ながらロサンジェルス・フィルの音楽監督に就任したとのことです。
クラシック音楽の世界では周縁的な地域の、決して経済的に恵まれた環境にあるとはいえないところから出てきた人々がこんなかっこいい音楽を生み出し、世界中の人々をびっくりさせているなんてとても痛快な話ではないですか。

いずれ機会があれば彼らの演奏を生で聴いてみたいです。(Y.O.)

 

(この文章は、松尾美術研究室のブログ "マツオ・アートログ”への2010年2月7日付けの投稿を転載したものです。)