イタリア美術紀行ーローマ編・その1(ローマ夜散歩)

 

9月22日夕方、ローマ、テルミニ駅に着きました。アッシジから鈍行列車で2時間半ほどの距離です。
ホテルにテェックイン後、テルミニ駅前のバスターミナルからすぐにローマ現代美術館(MACRO)に向かいました。ここは新しい美術館で、今回訪れるのを楽しみにしていました。行ってみると建物はきれいでかっこよく、カフェやショップなども充実した感じでしたが、どちらかというと常設のコレクションを持たない研究施設のような感じです。この時期観るべき展示もやっておらず、ちょっとだけ中を歩いてみて早々に出てきてしまいました。

 

 

この時間からではもう他の美術館もしまっているし、教会に入るのも無理かもしれません。せっかくだからバスには乗らずに、夕方のローマを特に目的なくぶらぶら歩いてみる事にしました。
ローマは、24年前にイタリア政府留学生だったときに、数ヶ月毎に外務省に顔を出さなければならなかった折や、しばしば知人宅に滞在させてもらったりして、訪れるたびにけっこう歩き回ったのでよく知っているつもりでしたが・・・、なにしろ24年前のことですから位置関係などもあやふやになっており、簡単な地図を片手の散策です。

 

 

MACROから、ローマ時代の城壁ピア門を経て、9月20日通りに沿って中心街の方に向かって歩いて行きます。共和国広場や、ミケランジェロが古代ローマの遺跡跡を利用して設計したサンタ・マリア・デリ・アンジェリ教会を経て、さらにナツィオナーレ通りを歩いて行くと古代ローマ、トラヤヌス帝時代の遺跡フォロトライアーノに出くわしました。トラヤヌス帝の記念柱が立っています。ここからヴェネツィア広場を挟んだ向こうにヴィットリオ・エマヌエーレ2世記念堂も見えています。今回ローマに来て初めて「ローマだ!」っていう気持ちになりました。そしてそこから、とりあえずパンテオンを目指して歩いていくことにします。

 

 

パンテオンは古代ローマの汎神殿で、現在は教会になっています。ラファエロなどのお墓もここにあります。
(このような巨大ドームを架ける技術は古代ローマ以来長らく失われていましたが、初期ルネッサンスの建築家ブルネレスキがフィレンツェのドゥオーモの巨大ドームを架ける方法を考案し、復活させました。)
パンテオンは開館していたので中を観れましたが、観光客で渦巻いていました。

パンテオン内を早々に出て、トラステヴェレに行ってみることにしました。もう日が落ちて大分暗くなってきています。トラステヴェレはテヴェレ川を渡った向こう岸の庶民的な町で、「ピッツァを食べるならトラステヴェレが良い」とガイドブックに書いてあったので。

 

 

トラステヴェレは本当に活気があって人通りも多く、どこのレストランやピッツアリアもものすごく賑わっています。そんな地元の人で溢れる忙しそうなピッツァリアの一軒に入り、茄子のピッツアを食べた後、再びテヴェレ川の中の島であるティベリーナ島に架かる古い橋を渡ります。そしてそこから古代の劇場跡のマルケルス劇場を経て、ミケランジェロの設計したカンピドリオ広場を目指して丘を登っていきます。

 

 

カンピドリオ広場は、アンドレイ・タルコフスキー監督の映画「ノスタルジア」のラストの、世を憂う初老の男性が演説するシーンで出てきた、あの広場です。広場中央にマルクス・アウレリウス騎馬像が立っています。
広場を横切って丘を下っていくと、古代ローマ時代の政治・経済の中心地だったフォロロマーノがあります。そしてさらにその暗い古代の遺跡を右に見ながら東に進むと、古代の闘技場コロッセオが見えて来きます。
そしてコロッセオから、ネロ帝の黄金宮殿(ドムス・アウレア)を横目で見ながら坂道を登り、カブール通りを目指して北へ進みます。

 

 

カブール通りをしばらく行くとサンタ・マリア・マッジョーレ聖堂が見えて来きました。4世紀に建てられて以来、改築を重ね現在の姿になったという古い歴史を誇る教会であり、ローマのランドマークの一つです。ここまで来るとテルミニ駅近くの投宿先のホテルはもうすぐです。

 

 

これで大体ローマ旧市街の中心部分を、ぐるっとほぼ半周した感じになります。ホテルに帰り着いたのは夜中になってしまいました。
明日は いよいよヴァチカンに行きます。(Y.O)

 

(この文章は、松尾美術研究室のブログ "マツオ・アートログ”への2015年10月28日付けの投稿を転載したものです。)