イタリア美術紀行ーヴェネツィア編・その3(アカデミア美術館)

 

ヴェネツィアを訪れたもう一つの目的は、ヴェネツィア派の絵画を再見したかったことでした。
ジェンティーレ・ベリーニ、カルパッチョ、ジョヴァンニ・ベリーニ、ジョルジョーネ、ティツィアーノ、ティントレットなど、ヴェネツィア派絵画の歴史を概観できるアカデミア美術館を観覧します。

 

 

ところで、ヴェネツィア本島の中は狭い路地や水路が網の目のように入り組んでいて、交通手段は船のみ。陸の上は歩くしかありません。ヴェネツィアを訪れるのは5回目になりますが、実は船に乗った事はあまりなく(高いので・・・)、もっぱら歩き回って観光していました。今回は観光に積極的に船を利用してみようと思い、鉄道駅であるサンタルチア駅前から水上バスに乗ってみました。
アカデミア美術館方面に向かう1番の水上バスは、ヴェネツィア本島をS字状に貫く大運河(カナルグランデ)に沿って進んで行きます。

 

 

水上から観たヴェネツィアの光景は、当然ながら陸上からの風景とはまた違っていて、このヴェネツィアという特異な都市の魅力を再発見しました。水上バス、水上タクシー、ゴンドラ、個人のボート、運送用の船、救急車やパトカーまでもが船なのですが、それらが絶妙な関係性を持ちつつ大運河の中で共存しています。まるでそれぞれの船に乗る人々が、運河という舞台上のドラマの中の登場人物みたいに見えました。そしてまた、運河沿いの建物の立ち並ぶ様子をみていて、自分が今いつの時代にいるのかわからなくなるような軽い錯覚を覚えました。おそらく17〜18世紀ぐらいからこの光景はあまり変わっていないのではないでしょうか?

 

 

アカデミア美術館では、上に挙げたようなヴェネツィア派の画家たちの絵をたくさん見ることができましたが、同時代のフィレンツェ派の絵画に比べ、一般的に言って、油彩の特質を生かした闊達な筆致や光の効果の表現に特質があるように思います。(しかし、一口にヴェネツィア派といっても、北方や近隣の都市の画家たちのスタイルの影響を受けながら発展して来ている以上、やはりいろいろな絵があるな、とは思いましたが・・・。)

 

 

ジョルジョーネの「嵐」は、小さいながら絵画史上においてエポックメイキングな作品の一つとして、E.H.ゴンブリッチの「美術の物語」という著書の中で大きな紙幅を割いて解説されています。


「(この絵の統一感を生み出しているのは)画面全体に浸透する光と空気だ。不気味な稲光がしている。そして、おそらくは美術史上はじめて、登場人物の背後にある風景が、たんなる背景ではなくなった。風景はそれ自身として存在し、絵の真の主題となっているのだ。」

「ジョルジョーネは、先輩や同時代の画家とはちがい、あらかじめデッサンしておいた物や人間を絵の中に描きこんだりはしないで、大地、木、光、空気、雲などの自然、そして人間や街や橋を、すべて一体のものと考えていたのだ。」

「ある意味で、これは遠近法の発明に匹敵するくらい大きな前進であり、新たな地平に向けての一歩である。これ以降、絵画はデッサンに色をつけるというだけのものではなくなった。色彩独自の法則と仕掛けをもつ芸術となったのである。」

 

 

また、ジョルジョーネの師匠のジョヴァンニ・ベリーニも様々なスタイルを経てヴェネツィアの絵画を進化させて来た巨匠の一人です。

 

 

そして何と言ってもヴェネツィア派最大の巨匠ティツィアーノの絶筆とされる「ピエタ」。以前から図版で観ては、もう一度生で観てみたいと思っていたのですが、その長い生涯の中で色々なスタイルで絵を描いた彼が最後に到達した「表現主義」に感銘を受けました。

古典絵画を観た後、別室で開催されていたアルテ・ポーヴェラのアーティスト、マリオ・メルツの展覧会を観ました。

 

 

帰りの水上バスからみた、さながらヴェネツィア派絵画に出てきそうな「天国的な」空です。これをみながら、ヴェネツィアの画家たちも、結局は自分が住む土地の気候や風土の中で、身近な光景からインスピレーションを受けながら絵を描いていたんだな、と思いました。(Y.O)

 

 

(この文章は、松尾美術研究室のブログ "マツオ・アートログ”への2015年10月17日付けの投稿を転載したものです。)