ピアノ夜話 その4/キース・ジャレット「ケルン・コンサート」

 

音楽の聴き方がカジュアルなものになってしまって、一枚のレコードを集中して繰り返し何度も聞き返すことが無くなってしまっている、というようなことを前回書きましたが、それでも、その曲を聴く時に居住まいを正し、覚悟を決めて聴かなくては、と思わされるCDはあります。
僕にとって、リヒターによるバッハの「マタイ受難曲」、バーンスタインによるマーラーの「交響曲第9番」、チェリビダッケによるブルックナーの交響曲集、アファナシエフによるベートーヴェンの最後のピアノソナタ集なんかはそうですし、ポピュラー音楽でも、アストル・ピアソラの晩年の傑作「タンゴ・ゼロ・アワー」や「ラ・カモーラ」、マイルス・デイビスの「ビッチェズ・ブリュー」、ジョン・レノンの「ジョンの魂」なども、聞き流すのではなく、きちんとそれを聴くための時間をとって、集中して聴くことを強いられているような気がします。聴き終えた後はそれなりに疲れますが、本物の芸術作品が与えてくれる充実感が残ります。

それとは逆に、単なるBGMとしてではなく、良い意味で部屋の中にいつも流れていてほしい、その音楽が部屋を満たし、それによって気を浄化するかのような音楽があります。音の粒子とともに生きて、感動とともに日々活動したいような音楽です。僕にとってそんな音楽の筆頭がキース・ジャレットのピアノです。

 

キース・ジャレットは自身のスタンダーズ・トリオでの演奏や、古くはマイルス・デイビスのグループの一員として活動したジャズ・ピアニストとして有名ですが、実はそれに留まらない幅広い活動をしていました。バッハやショスタコービッチなどのクラシック演奏や、パイプオルガンやクラビコードなどの即興演奏、オーケストラ作品の作曲、そうかとおもえば民族楽器を使ったシャーマニズムみたいなレコードを作ったりなど、表現の振れ幅の大きい天才肌の芸術家と言っていいでしょう。そんな多岐にわたる彼の活動の中核に、ソロピアノによる即興演奏があると思います。

キース・ジャレットのピアノによる即興演奏は、CDでは70年代はじめの「Facing you」から現在まで断片的ながらも継続していますが、その表現内容はその時期によっても違いますし、演奏場所によっても異なったものになってきます。最初期はアメリカ南部の香りを濃厚にたたえた野性味のあるピアノ(「Facing you」)でしたが、中間的な時期(「Solo concerts / Bremen, Lausanne」)を経て、だんだんと叙情性を帯びたものに変化していき(「The Koln concert」「Sun bear concerts」「Bregenz concerts」)、さらには重厚で古典的な感じの響きの演奏へと変化していきました(「Paris concert」「Vienna concert」)。現在は、キース自身が今まで取り組んで昇華して来たのだろう全ての音楽的要素(バロック、フランス印象派、ブルース、ジャズ、ニューエイジ、フォーク、現代音楽・・・などなど)が整然と並べられ、さながら響きのショーケースといっていいような演奏となっています(「Radiance」「Carnegie hall concert 」「Paris / London」)。

僕がキース・ジャレットの音楽を聴き始めたのは、80年代の終わり頃、CDプレイヤーを買って間もない頃です。「ケルン・コンサート」や「生と死の幻想」などもこの頃に聴いています。しかしその後、僕の中でジョン・コルトレーンやオーネット・コールマン、アルバート・アイラーなどフリージャズのマイブームがあって、その時にキースの即興演奏は非常になまぬるいものに感じられ、しばらくしてCDを手放してしまったのです。その後、キースは次々と話題作を発表し、巨匠へと上り詰めていくようでしたが、僕は敬して遠ざけるという態度でした。

1998年に僕に子どもが誕生しました。半日近くに渡る出産の現場に立ち会い、赤ちゃんが誕生する瞬間をこの目で見て、ベッドの上で眠る我が子と奥さんを助産院の静かな部屋に残し、僕は一人で自宅に帰りました。帰る途中、なぜだか無性にキースの「ケルン・コンサート」が聴きたくなってきたのでした。そして駅前のツタヤのCD売り場で以前手放したこのCDを買い直し、家に帰って聴いたのでした。

この「ケルン・コンサート」は冒頭のフレーズがいい、と思います。最初のピアノの音のいくつかを聴いただけで何か魔法にかかったように、これからしばらくの間生み出され続ける音たちが素晴らしいものであることを確信します。
森林の奥に響き渡るようなゆったりとしたピアノの音から始まり、雨上がりの草原を疾走する鹿の群れ、大空を飛翔する信天翁、眩しい陽光が樹々の葉にぶつかり弾け飛ぶ様・・・そんな、様々な情景を思い起こさせるようなフレーズが現れては消えていきます。さらに、アンコールで弾かれる短い即興が素晴らしいのです。この頃(70年代後半)のキースはジャズのカルテットで演奏している時も含めて、メロディーラインをつくる力が冴え渡っていて、美しいメロディーが自在に変奏されてこれでもかとたたみかけてきます。
そして膨らんだ花のつぼみがゆっくりと開くような、たっぷりとした余韻を残してコンサートがフィナーレを迎える時、子どもの誕生を父親が一人で祝福するための音楽としてこれ以上のものはないと、僕は感じていました。(Y.O.)

 

(この文章は、松尾美術研究室のブログ "マツオ・アートログ”への2011年4月27日付けの投稿を転載したものです。)