パウル・クレー おわらないアトリエ/京都国立近代美術館

 

今日は、京都国立近代美術館で開催されている「パウル・クレー おわらないアトリエ」展を観に行ってきました。
僕はクレーが大好きなので、久しぶりにクレーの実作をまとまって観れる今回の展覧会を楽しみにしていました。今日はお客さんはそんなに多くなく、小さな額入りの作品が並ぶ会場を比較的ゆっくりと観れてよかったです。

今回のクレー展はちょっと趣向が変わっていて、クレーがアトリエでどのように創作していたのか、その創作活動の一端を見せるような展示工夫をしています。
デッサンを転写したり、作品を切って再構成したり、はたまた描いた1枚の作品を切って2〜3点に分離してしまったり・・・。
材料も、鉛筆だけで書いたもの、水彩、油彩、いろいろな画材の併用、何かその辺にあった包装紙に描いたようなもの、別の作品の裏に描いたものなど・・・。

いわゆる有名作品や大きな油彩は少ないのですが、小さなドローイングや油彩の小品の方が、かえって鑑賞の際に親密感を持って眺められます。ペンで描かれた線のニュアンスや、水彩の透明感、あるいはグイッと力強く引かれた線の大胆さにクレーの息づかいを感じられたりなど、これはこれで適切なセレクションであるように思えましたし、クレーの作品はもともとそういう風に観られたほうがいい、という気もします。

今回の展覧会を見て思ったことは、とにかくいろんなことをやっているなあ、ということと、自由奔放に描いているように見えてやはり色彩の発色や画面構成など大事なことはきちんと押さえながら描いているなあ(まあ、これは当然のことなのではありますが)、ということです。自分の中から滴り落ちてくるようなアイディアの数々を押しとどめることなく、出てくるがままにどんどん描き現していっている、という感じがします。それらの多くは紙に描いたドローイングという非常にシンプルな形式ものであるし、中には唖然とするくらいざっくばらんな出来の作品もあるのですが、そのスカスカの感じがかえって「可能性の中心」を感じさせ、僕なんかそういうものにやたら触発されてしまうのです。

そういう意味では、クレーの作品(特に今回展示されているような作品)は、クレーの絵から何か与えてもらおうという姿勢で観るのではなく、クレーと一緒になって何かイメージを創造しようという気で観るのが良いのかも知れませんね。

岡崎公園の桜は今日のところはまだ4〜5分咲きという感じですが、近いうちに満開の見頃を迎えるでしょう。花とクレーを観に京都に行ってみてはいかがですか?(Y.O.)

 

(この文章は、松尾美術研究室のブログ "マツオ・アートログ”への2011年4月5日付けの投稿を転載したものです。)