3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震によって被災した方々に対し、心よりのお見舞いを申し上げますとともに、被災地の一日も早い復興を祈ります。
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毎日TVやネットで被災地の状況を注視しているが、本当に言葉がでない。阪神淡路の震災を知る者としてはなおさらだが、その時の体験をふまえて、今、ただ一つ思うことがある。突飛に思われるかもしれないが、このような時だからこそ、比較的安全な場所にいる私は、自覚的に「やらなければならない」日常の行為や仕事に取り組んでいかなければならない、ということだ。
倫理的、経済的、2つの理由からそのように思う。
被災地で困難な状況にある方々がいる、そして現状を打開しようと苦闘する行政や支援団体の方々がいる、物資や人的派遣で支援しようとする方々がいる、そしてそうした企業や団体を直接的・間接的に支える市民がいる。ボランティアや義援金、物資の寄付など直接的な方法で被災地を支援することも必要なことだが、比較的安全なところにいる者が自分自身の活動を通して社会と関わり、それが健全に運営されておればこそ、直接的・間接的に被災地の方々を支援することもできよう。私にとってはそれは、一生懸命絵を描く、それを発信していく、美術を教える上でのカリキュラムや指導方法等のクオリティーをさらに上げるべく努力をする、などだ。
非常事態は平穏な日常がいかに貴重なものかということを逆説的に照らし出してしまう。その「平穏な日常」を自覚的に生き、惰性に陥ること無く自分にとって大切な事柄を見つめ、取り組んでいくこと。今はこれしか言えない。(Y.O.)
(この文章は、松尾美術研究室のブログ "マツオ・アートログ”への2010年3月14日付けの投稿を転載したものです。)