黒帯

 

私事で恐縮ですが、今秋、黒帯を認可されました。合気道初段です。


私が合気道を始めたのはそんなに昔のことではありません、4年ちょっと前からです。子どもを持つ身でもあり、また教室で生徒さんたちを預かる以上、現実での不測の事態に対して冷静に対処できるような胆力と技術を身につける必要があるな、と思ったことがきっかけです。そのためには武道を習うのがいいのではないかと。

何の武道を習うかはあまり悩みませんでした。私の知り合いで長く合気道をやっている友人がいましたし、また野口三千三やモーシェ・フェルデンクライス、甲野善紀、斎藤孝の著作から日常生活に於ける身体操作法に興味を持っていたところでした。さらには以前からピナ・バウシュ、ウィリアム・フォーサイス、マース・カニンガム、大野一雄、ダムタイプなどのコンテンポラリー・ダンスを観るのが好きで、そうした身体的な興味と武術の修得という実利的なことを一気に満たすものが合気道だったというわけなのです。

合気道は年齢的にいつからでも始められる武道ではあると思いますが、それでもこの動かない身体に合気道の複雑な動きを覚え込ませるために、とにかく可能な限り稽古をしました。ちょっと計算してみると、この4年間ちょっとでざっと800回足らず。2日に1回以上(特にこの1年間は1週間に5日)の回数で稽古をしていたことになります。
実際に始めてみると、身体を動かすこと自体が単純に気持ちいいし(始めの頃は苦しかったですが・・・)、出来なかったことが出来るようになる喜びや、体つきや精神状態まで変わってきたりなど、いろいろな効果があって、傍目からみると単調な型稽古の反復に見えるものが全く飽きるということがありません。

道場の先生の熱心なご指導と良き稽古仲間のお陰もあって、今回黒帯を認可されたわけですが、武道にとって黒帯は目的でも到達点でもありません。これでようやく本格的な稽古に入る準備ができたという目印に過ぎないのです。合気道という奥の深い武道のまだまだとば口に立ったにすぎないのですね。とんでもなく「強い」人たちのごろごろいる世界ですから、そうした人たちときちんと稽古できるようにならねばと心が引き締まります。

ところで、研究室でも2学期が終わり、推薦入試に合格して数名の研究生が巣立って行かれました。大学合格というのは、大学から「これから真剣に美術を勉強するための基礎がある」と認められた、という意味では「黒帯」となったということでしょう。黒帯になっても(そして黒帯であるがゆえに)楽しく厳しい「稽古」は続きます。
自分の望んだ大学で、やりたい勉強を力一杯できるのですから、その喜びを噛みしめて学生生活を有意義に過ごされることを願っています。(Y.O.)

 

(この文章は、松尾美術研究室のブログ "マツオ・アートログ”への2009年12月23日付けの投稿を転載したものです。)