8月のピースメーカー

アメリカとカナダにまたがる五大湖のひとつ、オンタリオ湖の南にネイティブ・アメリカンの準独立国「イロコイ連邦」がある。(アメリカ合衆国内にあって、治外法権や独自のパスポートの発行などが認められている。)

イロコイ連邦は、セネカ、モホーク、オナイダ、カユーガ、オノンダーガという5つの部族から構成されているが、かつてはこれらの部族内、部族間では血で血を洗うような戦乱の時代が続いていた。
11世紀の後半、この地に「ピースメーカー」と呼ばれる異部族の若者が現れ、100年かかって一つ一つの部族を回り、彼らと生活をともにしながら、暴力によるのではなく理性と話し合いによる紛争解決の重要性を粘り強く説き続けた。

「人間は誰でも心の奥底に<グッドマインド>を宿している。それを正しく使えば地球上のあらゆる兄弟姉妹と仲良く共存できるはずだ。動植物や水など地球の恵みに感謝しながら、未来の世代が同じ恵みを享受できるよう努めることこそ正しい人の道ではないのか。」

長い困難な努力の結果、このピースメーカーのメッセージをようやく受け入れた各部族は「イロコイ連邦」を設立、部族間における武力による紛争解決の放棄と、代表団全員が合意に至るまで徹底的な話し合いによって問題を解決することなどを中心とした独自の制度を作り上げた。

作家の星川淳氏の考察によれば、この徹底した平和主義と民主主義は、アメリカ建国時に憲法を起草したベンジャミン・フランクリンやフランスの啓蒙思想家などに大きな影響を与え、アメリカ建国やフランス革命をへて、その精神は日本国憲法に結実するという。(「魂の民主主義」築地書館刊)
学校の社会の教科書には載っていない大胆な仮説ではあるが、僕自身は「正史」の背後にある見えない(しかし有力な)歴史の一つの流れを示すものとして、この仮説は大いにあり得ると思うし、なによりネイティブ・アメリカンの叡智に源を発する思想が、世界史の中で渦を描くように拡大しながら日本の憲法の中に流れ込んでいるというその壮大な話を非常に気に入っている。

 

ところでピースメーカーは遠い過去の話にとどまるものではない。現在にも世界中であまたの「ピースメーカー」が活躍しているはずだ。
現代の「ピースメーカー」でまず思いつくのは世界中の紛争地域や発展途上国で活動するNGOだろう。日本でも比較的良く知られた「ドイツ平和村」(紛争地域で負傷した子どもたちを医療施設の整ったドイツで一定期間治療する施設)や「ペシャワール会」(アフガニスタンで医療、農業支援、水源確保などの活動を行っている)をはじめ、僕の知る限りでもチェルノブイリ、イラク、ムスタン、トーゴなどで各NGOによって医療支援、生活支援の活動が行われている。
少し前(4/21)、NHKの番組「プロフェッショナルー仕事の流儀」で紹介されていた、紛争地域での武装解除を任務とするNGOの代表者・瀬谷ルミ子さんの仕事ぶりを観たとき、そして先日(7/26)も「情熱大陸」でミャンマー(子どもの死亡率が非常に高い)で子どもへの医療を無償で行っている日本人医師・吉岡秀人さんの活動を観て、「ここにもピースメーカーがいる」と感動した。そして、5年前イラクで武装勢力に拘束され、さらにそのことで日本中でバッシングされ、それでも今もかの地への支援活動を続ける高遠奈穂子さんも忘れてはいけない。

翻って、自分自身を見つめてみる。美術は「ピースメーカー」たりえるのか。
そうでありたいと思う。しかし美術は、上の人たちの仕事のように現実に直接的に介入して解決を模索するような質のものではないだろう。むしろ美術の力とは、光やポエジーやユーモアなどが結晶した、あたかも漢方薬のようにじんわりと、あるいは時間と空間を超えて不意打ちのように効いてくるような質のものなのではないだろうか。もしかしたらその効果は何10年先に現れるかもしれないし、見当違いのところに現れてくるかもしれない。それに対して克服すべき現実の困難は今、目の前にある。だから焦るのだが、その一方で「ピースメーカー」は様々な位相・様態で存在していいはずだとも思う。

自分の生み出した作品が「ピースメーカー」であってほしいと願いつつ、今日も絵を描こう。もうすぐ8月。( Y.0.)

 

(この文章は、松尾美術研究室のブログ "マツオ・アートログ”への2009年7月29日付けの投稿を転載したものです。)